あっという間の3年。

子どもがあっという間に3歳を迎えた。

慌ただしい毎日で過去をすぐに顧みることができない分、人の成長のスピードを強く感じる。

3年間は楽しい記憶しか残さないようにした。いや、つらい時も楽しい記憶に変換することにした。
きっと10年経ったらつらい記憶なんてなくなってしまうだろう。

そんな感情を得ることができた事に感謝。
子どもに感謝。
妻に感謝。

どんなところでも。

http://www.mfcl.jp/

熊本県益城町にある農業生産法人
やる気と情報分析能力と実践力が複合的に絡み合って成功した希有な例でしょうか。

いや希有としてはいけないですね。
大規模農業化を国が進めるなかで、こうした取り組みが先例となって農業全体が効率的で誇りの持てる産業になることを祈るばかりです。

最初が肝心

http://www.asahi.com/national/update/0201/SEB201202010002.html

佐賀県教委はICTを利活用した教育に先進的である。
タブレットの配布も、高校生の社会・経済・教育環境を鑑みれば、取り立てて水らしいわけではないが、県内で一斉に実施するところまでこぎつけたのが素晴らしい。
もちろん道具は使って如何なので、タブレット端末の導入が劇的に学力の向上に寄与することは未知数である。が、それを差し引いても、教育界に一定のインパクトは与えたに違いない。
こうしたICTを巡る正の動きが活発になれば、きっとツール自体もよりよい進化をたどるはず。

まずは佐賀の取り組みに今後も注目である。

空気

一昨日、恩師のゼミへおじゃました。

半分仕事、半分ボランティアみたいなものだが、若い学生の感性に刺激されつつ、大学教授の雑談に深遠さを覚えつつ3時間ほど。

こうしたアカデミックな空気に触れると、日頃の行いを忘れてしまう。

大学はまるで麻薬のようだ(←もちろん比喩です)。

そんな空気に触れたおかげ(?)で、その日まで調子の悪かった喉が、次の日には回復していた。
身体は正直なものだ。

さて、そのゼミ活動も年度末に向けて駆け出さねばならない。
地域に存在する日常を保存し、整理し、デザインする。
きっと数多の先例がある事だろうが、先人達の肩を借りつつ、今、出来ることをやっていく。
行動なくして知性は輝かない。

さて、あと2ヶ月。
気分が悪くなったらまた研究室に行こう。
ゼミにとっては迷惑な話。

畑のいも

日曜はかみさんの実家(兼業農家)へ米をもらいに行った。

兼業農家とはいえ、米と野菜を毎年ちゃんとつくっている。
農業をちゃんと営むのは至難の業だ。
米や野菜の知識と経験が不可欠だから。

以前参加した研修で大学の教授が言っていた。
「農業の技術をちゃんと情報として次世代に残さないといけない」と。
本当にそうだ。
義父の継承者は一体だれになるのかまだ分からないが、義父の記憶が定かなうちにちゃんと知識と技術を伝承しておかなければ畑はあっという間に荒れ地になってしまうだろう。

日曜、子どもも義父と一緒に土のなかに埋もれているじゃがいもを喜々として掘っていた。
米も人参も大根もじゃがいもも、みな土と農業を営む人々の熱意で創られ続ける。
こんな事実を目の当たりにせず「農業は大事だ」と言ってみても、土のありがたさも水の大切さもわからないくらい農業の持つ意味がわからないだろう。

だから私も微力ながらお手伝いをすることにしている。
本当に微力だけれでも、農の一端に携わることで、きっと子ども達もそんな祖父や父の姿を記憶にすり込むだろう。
そんな子ども達は米や野菜をおろそかにするはずがない、と信じている。

きっと今日も義父は畑にでて義母と二人の夕食のための野菜を畑から収穫するはずだ。

そんな些細な日常が日本にはたくさんある。
スーパーでばかり野菜を購入しても、農産物に対する思いや自然への畏敬の念は生まれようもない。

生業とせずとも、農業に貢献できることはきっとあるはず。

今日も我が家は野菜いためです。

東日本大震災、そして17年目を迎えた阪神淡路大震災の追悼式などの前後に(もちろんそれ以前からだが)、「きずな”絆”」が大流行している。

絆とは、はなれがたいむすびつき。

つまり結合点が生じた結果の状態。
大震災によって人々の想いの深層に「何かをしたい」「ナントカしないと」という焦燥感のような感情があったのは、自身を省みてもそうだ。
でも、今ちまたで見られる安易な絆の流布は、かえって復興に向けて着実に歩むための本当の過程やプロセスを曖昧にしているような気がする。

むすびつきは大事である。それはそうだ。
でも、そのむすびつきを作るために何をすべきかのほうがもっと重要だと個人的には思う(賛否はあるだろうが)。

震災は多くの事を我々に気づかせてくれた。
が、その気づきが瞬間的に消失しないように、反復して忘れない努力が必要だ。
難しいけれどやらなければならないことだ。

1歳危機

昨日(平成24年1月17日付け)の日経朝刊に「1歳危機」というコラムがあった。
結婚して子どもが生まれると夫婦の愛情が極端に減じるという内容。もちろんその危機を打開する、あるいは打開した方の事が載っているのだが。
さて、我が身を振り返ると、まさにその危機が進行中。
しかし、上記記事を読み、自身でハッとし、さらにその記事をいそいそとコピーして帰宅し、妻と夕食を食べながら子どもそっちのけ(?)で話合い。
・・・おかげでナントカ我が家のわだかまりも一時的に解消した。
あとはどうこの関係を持続させてゆくか。これは家庭ごとの取り組みや話合い、コミュニケーション如何にかかってくるわけで、まさにこれからが正念場といえる。
と、まるで客観ぶってこうして書いているものの、本当はどうしよう・・・大丈夫かな・・・とおろおろしている小心者である。

ま、なんとかなるだろう。
なるか??

ぼちぼちがんばろう。
そして感謝を忘れず、声に出そう。