東日本大震災、そして17年目を迎えた阪神淡路大震災の追悼式などの前後に(もちろんそれ以前からだが)、「きずな”絆”」が大流行している。

絆とは、はなれがたいむすびつき。

つまり結合点が生じた結果の状態。
大震災によって人々の想いの深層に「何かをしたい」「ナントカしないと」という焦燥感のような感情があったのは、自身を省みてもそうだ。
でも、今ちまたで見られる安易な絆の流布は、かえって復興に向けて着実に歩むための本当の過程やプロセスを曖昧にしているような気がする。

むすびつきは大事である。それはそうだ。
でも、そのむすびつきを作るために何をすべきかのほうがもっと重要だと個人的には思う(賛否はあるだろうが)。

震災は多くの事を我々に気づかせてくれた。
が、その気づきが瞬間的に消失しないように、反復して忘れない努力が必要だ。
難しいけれどやらなければならないことだ。