対応のまずさ

防衛省の一連のイージス艦騒動は、やはりというか、どうも漁協側が優位に論を進めており、また客観的に見ても(これは報道等の限定的な情報による判断だけ、という前提はあるが)漁協>>>防衛省という構図になりつつある。

国の初動のまずさが、結局事故に関する情報を積極的に公開「しずらく」している悪循環に自ら陥っているようにしか見えない。

失敗を認めるのは誰でも気持ちのいいものではないし、またそれが極めて重大な結果を招いている一因であれば、なおさらあとからそれを認めるのは勇気がいるだろう。

組織内部に様々なパワーがバランスしていることは承知しているが、しかし、公務に対する、しかも防衛という国家的行政需要への見方がその他の事件等で揺らぐなか、この騒ぎは国民の隅々にまで防衛行政に対する不信と疑惑を一層拡大させることには間違いないだろう。

自治体の仕事においても、事象の大小はあれ、しまった!という仕事を如何に「ケツを拭きあげる」か、が問われる場面に多く出くわす。

仕事を間違うことのない、パーフェクトな人間は存在しないはずだから、ではその事後処理をスムーズに周囲を尊重しつつまるく収めることが出来るか、という能力こそ、実は極めて重要な仕事のスキルではないだろうか。

などと偉そうなことをいう自分自身も、すぐに間違いに「気づき」、「修正し」、「適切な事後処理を行う」ことは苦手というか下手である。



防衛省の今後の方向転換の動きに注目である。