その5

さて、研修生は私を含めて部屋に4人いました。そしてプロパーの係員が1人。

本当に幸運でしたが、すごく気兼ねしなくていい間柄を保つことができました。

それは何故なのか?
 ・年齢が近い
 ・飲みに行くことが苦にならない
 ・独身
という三大要素とともに、
 ・プロパーが1人だけだったこと
 ・室長補佐が全員を均等かつ平等に面倒をみていただいたこと
 ・共通の話題が多かったこと
等々が考えられます。

もっとも、最初の1ヶ月くらいは、普通の関係、つまり昼食も係ごとに別々に行っていたり、退庁時もじゃあお疲れ〜とある意味ドライでした。

そして5月の中旬、ひょんなことから我々若い衆(というか下っ端)で飲みにいき、その後なぜかボウリングに新宿までいったのでした。
少々酔っ払っていたせいもあったのでしょう、楽しくボウリングしていたのですが、その時歴史は動いたのです。
プロパーのヒトが、思いっっっきり滑ってこけて、ガーターを出したのです。
おそらく他のレーンの人たちから見ればどうってことなかったのでしょうが、その時我々は堰を切ったように笑いころげました。
結局その日はボウリング後も飲みに行くことになり、朝まで飲み明かしました。

それから、退庁時の合言葉は、「行く?」になったのです。

飲みに行くか、ということなのですが、はっきり言って東京で明るいうちにアパートへ帰ったのは一度しかありません。
その一度以外は、もちろん仕事で遅かったのですが、少々早く終われば必ず飲みにいっていました。

国会が解除になれば「行く?」
予算で説明に行ったら「行く?」
補佐が行くぞ、と言えば「行く?」
終電が終わったから「行く?」
しまいには、ランチのときも「行く?」
と、こんな感じでした。
おかげでみな金欠病にかかっていましたが、目いっぱい仕事して、独身ですから家庭も顧みず、ただひたすらワイワイやって飲み明かすのが楽しくてしかたありませんでした。

とりわけ私は皆よりも仕事がはけるのが遅かったため、「待ってるから。」という言葉を残して皆去っていくのを尻目に、合流にむけて一所懸命仕事を片付けていたのでした。

仕事のやり方も、国と地方では異なることが多かったものの、このようなグダグダの良好な関係が構築されてからは気兼ねなく色々なことを教えてもらうことができました。

とかく短い期間しかそこにはいないことが分かっているわけですから、早々に仲良くなれたのは色んな意味でよかった、と今も思います。

出向の第二の目的は、まさにこうしたネットワーク構築にもあるわけで、おかげで今でも彼らとはメールや年に一度は会ったりしています。

仕事の鍵は人間関係とはよく言ったもので、互いの垣根が低くなったことは本当に助かったのでした。