情報は誰のものなのか

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071023/crm0710231920027-n1.htm

「パフォーマンスが過ぎる」とは国の職員の言葉として紹介されたものだが、国民の多くはおそらく今回の件(以外にも防衛省九州厚生局等あるが)について国の”悪意のある隠蔽”が存在するのではないかという空気にあることをおわかりなのだろうか。

もちろん、国会議員といえどもむやみやたらに公の施設内へとズカズカ立ち入ることが許されるわけではないことは理解できる。

しかし、今回(というか一連)の国の「申し訳ない」という態度が感じられない対応に憤りを覚える国民は、当事者である肝炎患者以外にも多いことだろう。

国の職員は、情報は一体誰のためにあるのかを再考し、猛省しなければならないはずである。

自治の現場であっても、たとえ住民といえどもみだりに公の施設内の資料を探す行為を許すことはない。
が、住民に対しての対応には、国と地方自治体であからさまに異なるように思う。国と地方自治体の業務の性格の異同については、例えば窓口で対面しないとか、政策シンクタンクであるとか、様々なご議論があろう。

しかし当然、我々は公僕として法令に基づいて整理された行動を求めれる。ただ、その行動の前提として、民と公の間にある溝を如何に感じ取ることが出来るかこそ、今次の行政活動全般に対して希求されていることを顧みる必要がある。

今回のような事例は今後もないとは言い切れないだろう。
であれば、いかに今後へいかすのか、ありきたりではあるがこのことが行政に問われている。

しかし、「あなたはだれですか」って。。