生命の営み

後輩に摘出子である第一子が誕生した。殊更祝辞を述べることでもないが、それでもかつて同じ釜の飯を食った後輩の入庁から結婚、出産(はご令室だが)まで概観すると、目頭が熱くなる。


世間一般では少子化甚だしく、その対策に国も自治体も(全力とはいかないまでも)政策による解決を試みている。

ただ、現実問題、出産はおよそ女性やその配偶者にとって避けられない事象であるにもかかわらず、またかなり以前から2006〜7年にかけて我が国の総人口が減少に転じることも予想されていた割にはこうした行政の取り組みを、遅きに失っしていると感じる「親」は多いと思われる。

とりわけ出産当事者である女性の就労や、配偶者の産前産後、育児休業等、労働によって対価を得る大半の世帯にとって、出産は喜ばしいことであると同時に、様々な苦労を伴うことは周知のとおりである。

もちろん、今現在以前も脈々とヒトは子を産み育ててきたわけで、その事実が変わることなく、単に社会的環境の変化に現在は出産「制度」が疲労していると思われるのである。

顧みて自身の出産は容易に予想できない。もちろん客観視する以前に、当事者になりえていないためそうした経験や情報にアクセスしていないことが予想できない今の自分自身を生んでいるのだが、それでも子どもを生み、育てることを望んでいる自分はわかっている。

こうした漠然とした不安を抱え、子どもが生まれ、安心して育児に専念できる日本の社会は、果たして何年待てばいいのかと憂える日々がいつまで続くのだろう。そもそも「待つ」などという受け身でよいのか。疑問はつきない。


ともあれ、Y君、おめでとう。きっといい子に育つよ。。