公共交通による移動手段
かつて東京に勤務していたころは、当然公共交通手段の恩恵を過分に受けていたわけですが、熊本においてはそもそもの交通網がかぎられているため、どうしても移動は「車」にたよらざるを得ません。
このような、都市と田舎(といってしまっていいかは意見の分かれるところでしょうが)の「差異」は数えればきりがありません。
しかしながら、そのような田舎の生活基盤である「足」について、なかなか合理的で最適化したものを構築するのは、いまさらながら大変に困難を伴うことです。
2時間に1本しかこないバスでも、駅まで20分かからろうとも、そのような動脈にアクセス可能な小動脈の設計が必要であることは間違いないはずですので、公共の役割はそこに有るだとの思います。
よく三セクの赤字経営が批判されますが、そこには根深い問題、課題もあるわけで、マスコミのアプローチ、あるいは地域住民の関与のしかたも含めた公共交通のあり方を見直さなければならないのでしょう。
と書いておきながら、このこと自体は門外漢なのでここらでやめておきます。
しかし、朝の渋滞非道いナア。。とほほ。