職員として

基礎自治体に勤務している私としては、他の組織が気になることが多い。

それは、自ら置かれた環境が果たしてベストなのか常に頭の隅においているからかもしれない。
私が就職したころ、世の中は「就職超氷河期」時代だった。
あらゆる職業はその門戸が閉ざされ、公務についてもそのほとんどが何十倍という倍率が課せられる試験をクリアしなければならなかった。

私自身も大学卒業後職が決まらなかったので、兎に角働きたくて色々な試験を無節操に受けた。

その結果今の仕事にありついたわけだが、その過程で得たいくつかの職業の厳しさや、あるいは「働きたくても働けないつらさ」などが交錯し、どうしても現状をそのまま受け入れることが未だできないでいる。

では転職するかといえば、そのリスクと準備不足、家庭の事情などが重層的に絡み合って容易なことではないことがわかりきっている。
わかりきっているだけ自分の行動範囲をもしかしたら狭めているのかもしれないが。

それでも、「働けないつらさ」を知った以上、どうにかして働き、今の環境を変える努力がいかに大切なのかは少々ではあるが短い就職モラトリアムの時期に受容できた。

公務員が・・・とよく世間では言われる。
その批判や叱咤激励も、よくわかる。
しかし、カール・E・ワイクがいうように、人は環境を想造し、その環境に自らを適合させていく(イナクトしていく)。

では、環境を変えるしかない。
新しい環境に身を投じるしかない。
だからこそ常にこれでいいんかい?と自分を疑ってかかる。

少しでも良い仕事をするために。

外の環境はとても大事だ。良くても悪くてもそこで得られる経験は必ず自分にイナクトされるだろう。


そんな外との接触を閉ざしがちな今の職場は、良い再生産への道が少々閉ざされているのかもしれない。