閑話休題Ⅱ

厚生労働省の肝炎関係の一連の報道を視聴していると、どうしても公の、国の責任は一体なんなのかという疑念が生じざるを得ない。

はたして厚生労働省は何のために今回のプロジェクトチームを構成したのだろうか。
そして何故そんなものを作らなければならなかったのか。
そしてその結果があんなものでよかったのか。

報告書を作成したのは、いわば当事者であることからも分かるように、自浄作用が期待できるわけもなく、ある意味当然の結果がでたのかもしれない。
結局責任は曖昧なままのようだ。
しかも、国民一般の認識は報道各社の情報によって必ず上記のような感情・意識が醸成されるだろう。

本末転倒である。

国民のためにすべき仕事が、国のための仕事になっている。
国、即ち自分のためだ。

事の顛末がどう収斂していくのかは注視しておく必要があるし、最終的な結論がどう導かれるのか、透明性をもって真摯に情報公開することも必要なことだろう。
ただ、そもそも国の責務は、一連のいわば「国の不作為によって被害を被った(筆者の主観です)」人々へいかに救済の途をひらくのかを議論すべきであり、それこそ原告団の方の記者会見にあったような「時間の無駄、税金の無駄」になってはいけないと思われる。

国の信頼が凋落の一途をたどらないようにただただ祈りつつ、また、期せずして患者となってしまった皆さんの健康を祈るばかりである。