けしきとこころ

歩くと思考が一旦中断され、整理されるとT先生もおっしゃっているが、たまには頭を切り替えることも必要だろう、と歩いた。

妻とともに一時間ほど。


今朝、地元紙の女性をターゲットにしたミニコミ誌(固有名詞しかわからないがなんというのだろう)を見ていたら、フランスはプロヴァンスの洗礼というタイトルで美しい街並みが写真で紹介されていた。

本当に美しい。
「地上とは思えない美しい光と影・・・」とある。
漆黒の海に淡い黄色の家々がつらなり、夕刻の薄明るい夜空の元、オレンジ色の街灯がぼんやりと灯る。

日本でこんなため息の出る景色が自然に保たれている場所は一体どれだけあるだろうか。
景観とは住む人々の思いがまぎれもなく再現された投影だ。
まちを思う心が、まちも人々も豊かにしてゆく。
なぜ外国では可能で、日本では「できない」のだろう。

なんの変哲もない夜景が、大きく伸びる道路が、果樹の実る畑が、美しいと感じることを日本人は怠っているとしか思えない。


ここは私のまちで、私の家と同じ。だから綺麗にするのは当然。

フランスの街並みには、我が家という感覚が拡張されて、まちを我が家の庭のように愛しているのが伝わる。誰だって庭が汚れるのはいやなはずだ。

綺麗に保たれるという人々の行い/実践によって、まちという共同体は歴史を経てどんどん美しく再生産されていく。

街全体が美術館・・・

いつかこんなフレーズで街づくりをしてみたい。


夜の散歩でふとこうしたことを思った。