論理を駆使すること

現在大学院で学んでいる最中ですが、当職教授はもともと数学者(論文を拝見させていただいたのですが、訳のわからない(失礼な)数式が羅列列挙された途方もないものでした。)

しかし、現在はどういう訳か社会学者になっておられます。

研究科はさておき、情報管理コースという名称からは、やれコンピューターの勉強であるとか、SEになるの?とか見当はずれなことを職場の方々には未だに聞かれます。が、実は私自身もコンピューターの知識はないなあ、と憂鬱な面持ちで試験を受けたのですから、一般的に「情報」「管理」という単語から想像されることがそうしたものであることは容易に理解できます。

それでも、自治体の情報「化」について学んでおり、そういったコンピューターというか機械についての基礎的、本当に基本的知識が必要とされることはあります。しかしながら、それはそれで、ある程度補えることを自身の昨年一年間の大学でのびを通して理解したわけです。

なんか文章が変な感じです。。

教授曰く、「論理的な思考はやはり重要でしょうね〜」と、まあ当然と言えば当然のご指摘をされるわけですが、その境地に至るに、数学者から社会学者然として現在への多彩なご経験に裏打ちされた深い思慮があるのは確かであり、そこに私ごときが追いそれと、「そうですね!論理的って素敵です!」などと相づちを打つのもはばかられようというものです。

論理的な思考回路を欲すれば欲するほど、自覚症状のように自身の不勉強さ加減が明確化され、暗澹たる気持ちになるのです。

当然業務において論理が駆使されることは、もちろんあるのですが、なかなかそれが実行に移せない自分もいるわけでw

今日はなんか意味がわかりませんなあ。