自治体の仕事

時に、自治体の内部では「なぜ早くやらないのか」「やろうと思えばできるのではないか」という局面に遭遇します。

しかし、やらないことが多いのです。

今まで行政として仕事をしてきた流儀がそうさせるのか。
あるいは、そうではないのか。

自身はまだ30代前半で、組織においてはかなり年齢的下位に位置します。また、奉職するまでに今、世に言うフリーター、あわよくばニートくらいの時期もありましたので、仕事をすること、そしてその対価として給与を得ることにこのうえないありがたさを感じるのです。

何もしなくていいと言われれば、きっと仕事を持つ人であればとてもうれしいことだと思います。
しかし、何をしようにもできない日が続くというのは、それは苦しいものです。

何をしようにも、お金もなく、そして時間のみ他人を同じだけ与えられる。

仕事をすることは、生きていくうえでとても大切なことは、人それぞれでしょうが、周知のことだと思います。

だからこそ、今の職場、組織の仕事への姿勢に背を向けたくなるときもあるのです。
もちろん、組織全てが全ての時間、そうした態度に終始しているわけではありません。
ほんのひとときだけの時もあります。

しかし、その一瞬でも、
なぜ仕事をするのか。
仕事とは何か。
公務とはどういうことなのか。

ということを頭の片隅に置いておくべきであると思っています。

自治体では今、財政的逼迫感を国にあおられ(実際危ない状況だが)、NPMといった手法による経営の合理化をすすめようと模索しています。

しかし、計画あるいは名ばかりの施策になっているとどうしても感じます。

民間と単純に比較できないことは重々承知の上ですが、そういった公と私の違いを差し引いて純粋に仕事としてのあり方や仕事への姿勢を比較すると、今の私の組織には私(民)に大きく遅れをとっていることが多いと思っています。

ではどうすれば変わるのだろうか。

今、そのことが大きな悩みの種です。

簡単に組織が変わればいいのですが、そんなことはありえません。小さな動きを少しずつ進める。意識を変える。

今は月並みですがこの程度の試みです。

しかしながら、これから自治体は変わるはずです。変わらなければだめです。

住民との協働などと言いますが、住民から信頼され、連携をいとわない関係を築けるような人格をもち、コスト感覚に優れた職員が求められています。

そういった「高尚」な人格へ変身できるのか、一抹の不安は感じますが、やるしかないのです。