しばしば

現在就学中かつ研究室の教授であるが、大変聡明で「面白い」人である。

学部生のころの担当教授の記憶も曖昧になってきたが、それゆえか(失礼な)今現在の「先生」のあり方に大変なショックを受けている。

これはいい意味でであるが、とても楽しいのだ。

大学しかも院とはこういうものとは思っていなかったうえに、他の研究室の教授陣を拝見するに、なんとも幸運だったようだとの思いが日に日に強くなっていく。

情報教育(といっても範囲は広大だが)に目下その研究の矛先をむけていらっしゃるが、もともと数学者であり、工学系博士であった教授であるため話しが時に数学的となる。また諸説端々に見られる先人についても、数学者や物理学者がしばしば登場する。

そうした今まで未見の分野を少しずつ紹介していただきながら、現在は旺盛に「コミュニケーション」について食指を動かされている。

そのようななかでの私の地方自治と情報化、そして地域での「コミュニケーション」のあり方について、というまた全く数学にも、情報は若干だがなかなか知見が伴わない分野にお供していただいている。

そして、私自身が本当に恥ずかしいかぎりだが、改めて地方自治等について学習させていただいている。

学習とは、その人それぞれが置かれた様々な状況からその実践に参加していくことで得られる経験や行為である。

今まさに学校に出向き、先生たちと話し、本を読み、文章を練る。

こうした「学習」は、かつて小学校以降の教育課程では実は「わからなかった」ことである。

知識は得ることによって見えないものが見えるものである。

自身、自治体の職員として見えないものが多すぎる。また、多すぎた。それを如何にして補うか。また、自治の仕事とは、その本旨を見誤ってはいないか。

日々考え、そして遅々として進まない修士論文作成にお焦りながら、それでも今ある学習の日々に感謝している8月である。